富山の薬売りの由来と文化について

置き薬といえば富山県、というイメージが定着しているほど、富山の薬売りは有名です。
顧客の住居に薬を置き、使った分だけの費用を後で請求するシステムは、富山の薬売りが最初とされています。

薬の製造や販売は古くから各地で行われていましたが、薬を一般的な商品として扱い、販売していたのが富山の商人でした。
売薬の流通網ができあがったのは室町時代とされ、現在の富山県に該当する地域に、商人の組合である「座」が置かれたのが薬売りの由来です。
当初は各地から仕入れた薬を販売するだけでしたが、やがて薬の原料であるさまざまな薬草の栽培も手掛けるようになり、日本における薬草の一大産地として栄えました。

富山の薬売りのイメージが定着したのは江戸時代、富山藩の藩主が江戸城内で病気に苦しむ大名へ、自身が携帯していた薬を与えた話がもとになっています。
それまでは、必要なときに専門店で買い求めるのが普通でしたが、この話が広まったことで置き薬という考え方が生まれました。
富山の薬売りはこの話に商機を見い出し、各地で置き薬の普及に努めたのです。

その際、浮世絵や紙風船などのおまけを配布しましたが、これは単に薬を売るだけではなく顧客とのコミュニケーションを図り、体調の変化を早期に知る意味があったとされています。
薬売りは商人であると共に、簡易的な健康診断を行う役目もありました。
このような点から、置き薬は単なる商取引ではなく、1つの文化として定着したのです。